第10回 極道記者
ＧＩレースが確定した直後の検量室周辺は祭りのように賑やかだ。
暗い地下馬道ぞいにある東京競馬場のそれと違い、ここ中山競馬場の検量室は一階のガラスばりの部屋である。すぐそこのウィナーズサークルに集まる関係者の嬉々たる様子も、スタンドを埋めた観客の熱気も、そして季節の移ろいもじかに感じられる。
エアシャカールで皐月賞を制した武豊騎手が、ウィナーズサークルへと駆けていく。
その後ろ姿を見送っていると、ぶ厚い手で背中を叩かれた。
振り向くと、グレーのスーツを着た塩崎利雄が立っていた。競馬歴四〇年に届こうかという、著名な競馬評論家である。
「よっ、元気か？」
と出された右手を握り返すと、太い眉を生き物のように動かして笑った。
塩崎には作家としての顔もあり、二〇年以上前に上梓した『極道記者』が数年前に映画化された。主人公のモデルは彼自身である。
自作の主人公以上に多額の馬券を買う彼は、馬券の負けだけで億単位の借金をかかえている。「追い込み」と呼ばれる取り立てが激しいので、ある時期から家族と離れて暮らしているという。
――まったく、自分でもよく生きていられるもんだと感心するよ。
自嘲するようにそう言った。
検量室前に戻った豊と、塩崎はがちっと握手をした。見ると、勝ち馬の関係者ではない者とも握手をしている。
「馬券、獲ったんですか？」
そう聞くと、塩崎はかぶりを振った。
「ダメだった。でもな、豊が勝つと嬉しくてよ。昔は、競馬関係の仕事をしてるっていうだけで詐欺師みたいに言われたのに、あいつが競馬をメジャーにしてくれたおかげで、今じゃあ胸を張って外を歩ける。俺は、あいつには感謝してるし、憧れてるんだ」
そう話す彼を見て、数年前、酔って口をついて出た彼の言葉を思い出した。
――俺は、競馬場でしか、自分の存在を確認できねえんだ。
居場所はここしかない。今、そこに心地よい光があたっている。
「おい、豊に、俺が憧れてるなんて言うんじゃねえぞ。気持ち悪がられるからよ」
そう言って、くわえ煙草のまま両手をポケットに入れ、春の夕射しに目を細めた。
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