第６回 師匠の背中
「ホンマに大丈夫かいな」
人の少ない早朝のスタンドで、浅見秀一は言葉とは裏腹に、嬉しそうな顔で言った。
浅見は、天皇賞馬メジロブライトなどの管理者として知られる調教師である。
「追い切りか？」
「ええ、五ハロンです。三コーナーで外から来る馬と併せて、ゴールまで強めに」
浅見の問いに私が応えた。
「そうか。あいつ、ホンマにわかっとるんかな。まあ、でも、アメリカで調教に乗せてもらえるだけでありがたいわ」
言って、浅見はコースを見つめた。
その視線の先で、彼の厩舎の所属騎手・白浜雄造が馬に乗っている。
デビュー二年目の白浜にとって、これが異国での調教初騎乗である。十代と言っても通用する彼のあどけない顔を思い浮かべると、私まで少し不安になってきた。
白浜の乗った馬が、サンタアニタ名物とも言うべき椰子の向こう側を通過し、三コーナーに入った。そこで外から来る馬を待って併せ馬に持ち込み、見事に調教をこなした。
「まあまあ、オッケーやな」
と言う浅見は、弟子に厳しいとの評判がある。
それだけに彼の笑顔は意外な気がした。
コースと厩舎地区をつなぐ馬道に、白浜が戻ってきた。
「お疲れさま」と声をかけようとしたら、浅見が、低いがよく通る声で「雄造！」と言い、鬼の形相で白浜を睨めつけた。
「お前、なんやその鐙は。革をそんなぷらぷらさせとったら馬の腹に当たって、馬が行きたがるやろ！」
「はい、すみません」
唇をかむ馬上の白浜に歩み寄り、さらにつづけた。
「そのだぶだぶのジャンパー、今すぐ捨てなアカンぞ。風でぱたぱたしただけで掛かる馬もおるんやからな。馬を抑える技術もないくせに……、アホンダラがァ」
浅見は、白浜の姿が厩舎内に消えるのを確認してから、私が持っていたカメラを指さして言った。
「今度栗東に来るとき、あいつの写真、持ってきてくれるか？」
頼むで、と念を押し、ゆっくりと背を向けた。
その、少し丸まった背中に、先刻スタンドで見せた優しい笑顔が重なって見えた。
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