第８回 最強馬の仔
向こう正面の直線ぞいに並ぶポプラの木々が、赤く染まった雲を背景に、くっきりと浮きあがって見える。
その手前の内馬場で、数百頭のサラブレッドが乗り運動を行っている。朝五時半の開門と同時に、一周二〜三〇〇メートルの小さな周回コースは馬たちで一杯になる。
一頭の華奢な馬が、メリーゴーランドの隊列から切り離されるようにしてダートコースに入った。朝の陽を受けて、全身が濃い紫色にかがやいている。
ここ札幌競馬場で、ナリタブライアン産駒として初勝利を挙げた三歳牝馬、ミスサルデニアである。珍しい青毛馬だ。
調教を終えたミスサルデニアは、馬道を歩いてクールダウンしたのち、所属する田原成貴厩舎の洗い場につながれた。
ここは複数の厩舎の雑居馬房になっており、玄関のプレートには田原成貴と南井克巳の名が並んでいる。
騎手として幾多の名勝負を繰り広げた田原と南井は、それぞれ九八、九九年に鞭を置き、調教師に身を転じた。
持ち乗りで世話をする調教助手が、ミスサルデニアの首や腰の肌荒れした部位に酸性水を塗ってやる。皮膚が薄いので、手綱や鞍でこすれると発疹ができてしまうのだ。
「それ、ブライアンの仔か？」
声に振り向くと、南井克巳が腕を組んで立っていた。
ミスサルデニアの父、ナリタブライアンに乗り、九四年の皐月賞、ダービー、菊花賞の三冠と有馬記念のタイトルを獲らせたのは、この南井である。
「この前、勝ってよかったな」
南井は言い、青光りする馬体を見つめた。
最強馬と言われたナリタブライアンは、九八年夏、種馬としてわずか二世代の産駒を残しただけで逝ってしまった。
その早すぎる死に、最も胸を痛めたのは、ここにいるかつての主戦騎手かもしれない。
「いい馬だな。うちにも、来年、ブライアンの仔が入ってくるんだ」
言って、南井は、ミスサルデニアを見つめていた目を空に向けた。
低い雲が南の藻岩山のほうへ駆けていく。
助手に曳かれたミスサルデニアは、馬房に入る前、南井の前で歩を止めた。
他厩舎の馬に対する遠慮があったのか、南井は伸ばしかけた手を照れたような笑みとともにポケットにしまい込み、何かを思い出したように足早に去っていった。
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