「竹のムチがくれた夢」 学研「４年の学習」99年４月号掲載
その転校生は島根からやってきた。
名前を「田原成貴」という。
小さな体に似合わぬ大きな態度。「大人になったら騎手になる」と宣言し、ガハハと笑う、ちょっとかわった男の子だった。
◆おかしな転校生が来たぞ
「あいつ、男かな、女かな？」
「けっこうカワイイ顔してるじゃん。ジャニーズ系ね」
４年３組の教室はざわついていた。みんなの視線は、先生の横に立つ、体の小さな転校生にそそがれていた。
「ハ〜イ、静かにして！ みんなの新しいお友だちです。島根の学校から来た・・」
先生がそこまで言ったとき、転校生はクルリと背中を向けて、チョークを持った。そして黒板に、ミミズのはったような字で「田原成貴」と書き、先生の机に飛び乗った。
「これがワシの名前じゃ、ガハハハッ！」
突然のことに、教室はシ〜ンとなった。先生もあっけにとられている。転校生は、大きな目をキラッと光らせて、言葉を続けた。
「最初に言っとくけどのォ、ワシゃあ大人になったら騎手になるんじゃ」
「騎手って、なあに？」
と、タケシが手をあげて聞いた。
「馬の上に乗って競走する、あれじゃ」
「ふうん」
「お前みたいに太ったやつはおらんけどの」
教室のみんなが笑ったので、タケシは顔を真っ赤にして下を向いた。
「わたし、騎手って知ってるよ」
と、ケイコが立ち上がって言った。
「『武豊』っていう人が一番なのよ。ね、田原くん？」
「今のところは、そうじゃ。そのうち、ワシが追いぬくけどの。ガハハハ〜ッ！」
転校生は、先生の机の上に立ったまま、口を大きくあけて笑っている。
「いやなやつだな」
と、タケシが言った。
「あとでおれがやっつけてやる」
そう言って、クラスで一番背の高いカズオが、指をポキポキ鳴らした。
転校生、ピンチだぞ！
◆さあ、海まで競走だ！
その日の夕方、カズオは商店街の入り口に自転車をとめ、野球をする仲間が来るのを待っていた。約束したのに、まだだれも来ない。
「チェッ、みんな、何してるんだよ」
そうつぶやくカズオの肩を、だれかがポンとたたいた。タケシだった。
「ぼくとカズオくんしかいないの？」
「うん。どうせみんな、塾に行ったりプレステで遊んでるんだろう」
そこに、ケイコが通りがかった。
「ねえ、わたしも野球やりたいな」
「ダ〜メ、お前には無理だよ」
そうカズオが言うと、突然、ケイコが「あっ！」とさけんだ。
「あれ、転校生の田原くんじゃない？」
ケイコの言ったとおり、道の向こう側に自転車に乗った転校生の田原がいた。
「あいつとはいっしょに遊びたくない」
と、タケシはほおをふくらませた。
カズオは、タケシの言葉を無視して転校生に手をふった。
「お〜い、こっちに来いよ！」
そして、小さな声でタケシに言った。
「あいつにおれの剛速球を、わざとぶつけてやる」
田原は、後ろに箱のようなものをつけた自転車に乗っていた。
「お前、めずらしい自転車に乗ってるな」
カズオが言うと、田原はじまんげにハンドルについたスイッチをおし、後ろの箱をピカピカと光らせた。
「これは『フラッシャー』というんじゃ。自動車のウインカーみたいなもんじゃ」
「わたしのお父さん、子供のころの写真で、田原くんと同じような自転車に乗っていたわよ」
「ほう、シャレたオヤジだのォ。どうでもいいけど、お前、ワシを田原くんってよぶな」
「どうして？」
「こそばゆいんじゃ。『セサー』でいい。島根の友だちは、みんなそうよんどった」
「わかったわ、セサーくん。わたしはケイコ。よろしくね」
「おれはカズオだ」
「ぼくはタケシ」
セサーは、３人の顔を見て
「カズオにタケシにケイコか」
と、つぶやいた。
「セサーくん、手に持ってるのは何？」
と、ケイコが聞いた。
「騎手が使うムチじゃ。これで、馬のおしりをたたいて『がんばれっ！』って言うんじゃ」
ムチといっても、50センチぐらいの竹の根元を、ビニールテープでぐるぐるまいただけのものだった。
「おい、セサー。その自転車が馬のかわりなのか？」
とカズオが聞いた。
「そうじゃ」
「馬と同じぐらい速いんだろうな」
「あたりまえじゃ」
「じゃあ、海の公園まで競走するか」
そう言って、カズオは海浜公園までの道順を説明した。
セサーとカズオとタケシとケイコ、４人は自転車でいっせいにスタートした。
セサーはバシッと一発、自分の自転車をムチでたたいた。
◆今度は野球とすもうで勝負だ！
１位はセサー、ほんのちょっとの差でカズオは２位だった。ずいぶんおくれてケイコが海浜公園に着き、さらに何分もおくれてタケシがビリでゴールした。
「お前、チビのくせに足腰が強いな」
と、カズオがセサーに言った。
「ワシは毎日、きたえとるからの。でも、都会の子どもで、お前みたいに速いやつがいるとは思わんかった」
カズオは、この転校生はそんなに悪いやつじゃないと思った。
「おい、カズオ。お前、いいグローブ持ってるのォ」
「キャッチボールでもするか」
「おう。ワシがキャッチャーをやったる」
そう言ってセサーがしゃがんだ。タケシが打席に入り、ケイコが審判になった。
カズオは思いっきり直球を投げた。タケシは空振りして、尻もちをついた。セサーはそのボールを受けそこない、顔に当てて鼻血を出した。
「あいた〜。カズオ、なかなかいい球を投げるのォ」
「ご、ごめんよ、セサー」
カズオはあやまった。さっきは本気でぶつけてやろうと思っていたけど、今のはわざとではなかった。
「どうってことないわい。わざと顔で受けたんじゃ」
そう言ってボールを投げ返すセサーを見て、タケシは笑った。セサーの鼻血がヒゲのように見えた。
「ワシの顔、そんなにおもしろいかの？」
とセサーが聞いた。
「うん。顔もへんだし、負けおしみ言ってるのもおかしい」
「ハハハ、そうか。さっき教室でタケシをバカにしたバツじゃ。太ってるなんて言って、悪かったの」
「いいよ。もう気にしてないから」
ケイコがポケットからティッシュを出して、セサーの鼻につめてあげた。
「セサーくん、だいじょうぶ？」
「すまんのォ。ケイコは、きっといい看護婦さんになるぞ」
「えっ、どうしてわたしが看護婦さんになりたいってわかったの？」
「なんとなくじゃ。そうだ、カズオ！」
セサーは鼻からティッシュをはみだしたまま、大声でカズオをよんだ。
「なんだよ？」
「お前は、プロ野球の選手になるんか？」
「なれたらね」
「絶対になれるわい。お前のボールなら、王貞治だって三振するぞ」
「おれが対決したいのは、巨人の松井だよ。たぶん、ホームランを打たれちゃうけど」
「まだ勝負してないのに、負けるなんて決めちゃあ、ダメじゃ」
と、セサーは大人みたいな言い方をした。
「ワシなんか、一度も馬に乗ったことがないのに騎手になるって決めたんだぞ」
そう言ってカズオに笑いかけるセサーに、タケシが言った。
「ぼくは、おすもうさんになるんだ」
「よし、ワシが相手をして、テストをやったる」
と、セサーはすもうのかまえをした。
セサーは、口ほどにもなく、何度もコロコロとタケシに投げ飛ばされた。
「なかなかいい上手投げだったぞ」
と、顔のどろをふきながらセサーが言った。
「いまのは下手投げだよ」
と、タケシ。
「そうか。そうじゃったな」
「セサーくんって、すぐに知ったかぶりするのね」
ケイコがそう言うと、みんな笑った。
遊びつかれた４人は、しばふの上にならんですわった。そして、しばらくの間、夕日を受けて赤くそまる海を見ていた。
突然、セサーが立ち上がった。
「ワシ、そろそろ帰らなきゃならん」
「そうか、またいっしょに遊ぼうな」
と、カズオが言った。
「ぼくもいっしょに遊びたい」
「わたしも！」
と、タケシとケイコが手をあげた。
「そうじゃの。遊べるといいの」
と言いながら、セサーは竹のムチを差し出した。
「これ、みんなにやるから、がんばれよ」
そう言い残し、セサーは自転車に乗って帰って行った。びゅんびゅん飛ばすセサーの後ろ姿は、あっという間に小さくなった。
とても楽しい土曜日だった。
◆セサーはどこに行った？
次の週の月曜日、学校に行くと、セサーの姿は見当たらなかった。
カズオとタケシがクラスメイトや先生に聞いても、みんな「そんな転校生は知らない」と言う。
「セサーくん、消えちゃった」
と、タケシが泣きそうな声で言った。
「おれたち、夢を見ていたのかなあ」
カズオがうつむいて言った。
「いや、夢じゃなかったしょうこがあるよ。ほら、これ」
と、タケシが竹のムチを出した。海浜公園で、セサーがみんなにくれたムチだ。
「本当だ。セサーは本当にいたんだ！」
放課後、ケイコがカズオとタケシをグラウンドによんだ。
「見てもらいたいものがあるの。これよ。今朝、お父さんが読んでいたの」
それは、スポーツ新聞だった。一面トップに『田原成貴騎手、天皇賞制覇』の見出しがあり、大きな写真がのっていた。
それを見て、カズオが言った。
「『制覇』って、勝ったっていう意味か。『天皇賞』ってなんだ？」
ケイコがじれったそうにこたえた。
「競馬のすごく大きなレースだって、お父さんが教えてくれた。それよりも、ねえ、気づかないの？」
「気づくって、何に？」
「この、馬に乗って手をあげてる『田原成貴』っていう人、セサーくんよ！」
「何言ってるんだよ。これ、今朝の新聞だろう」
ケイコは言葉につまった。
「名前は同じだけど、この『田原成貴』って人、おじさんだよ」
と、タケシが言った。
「でも、この顔、絶対セサーくんよ！」
３人は、大人になったセサーの写真を見て、ウ〜ンとうなった。
「そうだ。やっぱりセサーだ！」
と、カズオが言った。
「あいつ、１日で大人になっちゃったんだ」
「それか、このおじさんが子どもに変身して、遊びに来たんだよ」
とタケシ。
「いや、きっと、セサーくんがタイムマシンを使ってわたしたちをはげましに来てくれたのよ」
とケイコが言った。
「わけがわかんないなあ」
と、カズオは頭をかかえた。
「でも、ぼく、わかったよ」
タケシが、竹のムチを空にかざして言った。
「何がわかったんだ？」
「がんばれば、夢がかなうってこと。セサーくんは、本当に騎手になったんだもん」
「そうよ」
とケイコが言った。
「ほら、セサーくん、口だけだと思っていたけど、本当に武豊さんに勝ったのよ」
「おれ、巨人の松井を三振にできるような気がしてきた」
と、カズオが立ち上がった。
「ぼくも、貴乃花に勝てるような気がしてきた」
と、タケシが言った。
「わたしも、ナイチンゲールみたいな看護婦さんになれるような気がしてきた。セサーくんに負けないよう、がんばらなくっちゃ」
ケイコは、鞭をそっと手にとって、軽くふってみた。ビュッと風を切る音が、セサーの笑い声のように聞こえた。
ゆらゆらとゆれる竹のムチは、黄金のようにかがやいていた。
（終わり）
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